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応接間/聴潮閣   

 

 

建物

昭和4年に建てられた「聴潮閣」について、その設計や用途などを紹介いたします。

聴潮閣は、今も残る昭和初期の近代和風建築であり、また国登録有形文化財の指定も受けている建物です。 昭和4年(1929年)、大分県別府市浜脇の海岸/朝見川河口に〝潮の音を聴く館“として建てられました。

別府政財界の中心人物であった 高橋欽哉 (たかはしきんや・1866~1937年)が、住居兼迎賓館として利用していました。

そして、60年後の平成元年(1989年)に別府市青山町に移築し、現在に至ります。

紅葉に包まれる玄関/聴潮閣 

聴潮閣の主屋は、台湾ヒノキ等の高級木材をふんだんに用いた木造二階建て入母屋造の近代和風建築。他にアールデコ調の応接間のある洋館を持ち、ティファニーの色ガラスで知られる小川三知(さんち)のステンドグラスなどで飾られた和洋折衷の建築物です。
移築の際、木材は丁寧に晒(さら)しで巻いて運ばれ、ガラス窓等も昭和初期そのままの姿を残しています。

大正時代から昭和にかけて、全国に名だたる温泉観光都市として発展した別府には、炭鉱王など財を成した方々の別荘や近代的な公共建築が数多く建てられました。

ところが残念ながら、別府は第二次世界大戦の戦火を免れたにもかかわらず、高度成長期の観光開発などによってこれらの建築はほとんど現存していません。 このうち一般公開を行った個人宅は聴潮閣のみで、昭和初期の別府を今日に伝える 「別府に残る数少ない近代化遺産のひとつ」だといえます。